僕の宝物「祖母と白い自転車と母と47回忌」

 

先日、母親から・・・

 

「今週の日曜日、おばあちゃんの47回忌があるからお寺に来ておくれ」と連絡がありました。

 

亡くなった人を供養するための法事・法要には、 3回忌以降末尾に「3」と「7」が付く日に、法要が行われます。

 

これを年忌法要といいます。

 

50回忌を持って弔い上げとなって法要が終了。

 

しかし、齢90歳近くになる母曰く

 

「私もこの年になったので、もう50回忌まで執り行えるかわからないから、今回の年忌法要を弔い上げとしようと思うんだ。」

 

「だから、あんたは特別におばあちゃんに可愛がられたんだから、こんとね」

 

※こんとね→こないとね

 

「故人を偲び、冥福を祈る、私の仕事もこれで良しとしょうと思うんだよ」

 

戦後、新城の山里から1人嫁いで来た母は、姑である祖母と畑を耕し、朝から晩まで内職で3人の子供を育て上げ、決して裕福でない家計を一生懸命切り盛りしていた。

 

多分、祖母とは、なんとなくよそよそしかったり、気を使って疲れてしまったりと子供には言えない日々もあっただろうに・・・

 

でも、そんな様子は一切見せず、88歳で祖母が亡くなるまで献身的に祖母に尽くしてきた姿を今でも思い出します。

 

コロナ禍にあっても、近い親族だけが少人数で集まって、故人を偲び、冥福を祈る。

 

母の優しい想いが伝わってきます。

 

 

祖母と白い自転車

 

祖母に兄弟の中で一番可愛がられたのは、多分末っ子の私だと思います。

 

私は、小学1年生の時にすごく欲しいものがありました。

 

自転車です。

 

周りの友達が入学祝で新しい自転車を買ってもらい、

 

自慢げに、

 

「すごいだろ~、このスイッチを押すと、ライトが光るんだぜ」

 

当時、仮面ライダーがテレビで放映され始め、仮面ライダーが乗るサイクロン号と変身ベルトが子供たちの憧れの的でした。

 

子供ながら、ほしくて、ほしくて、

 

サイクロン号のようなスイッチを押すとライトが光る自転車。

 

「お母さん、お母さん」

 

「隣りの○○チャンも、それから□□君もみんな買ってもらったよ!」

 

母に泣きながらねだった。

 

でも、1ヶ月経っても、2ヶ月たっても、半年経っても、自転車は買って貰えませんでした。

 

 

「よそは、よそ。うちは、うち!」

 

母は、口癖のように私がねだる度にそう返してきました。

 

遂に、小学3年生になって周りで持っていなかったのは私だけになったんです。

 

「おばあちゃんだ!」

 

と当時同居していた、祖母におねだりをしてみました。

 

でも・・・・・

 

「もうちょっとまってな。今は、ダメなんだよ。」

 

と祖母は優しく語りながら、私を言い聞かせていました。

 

当時、母は毎日内職で油まみれになっていました。

 

祖母は、畑に出て家族が食べる分の野菜を作っていました。

 

そんな姿を見ていた私は、子供ながらなんとなくですが

 

「あっ、自転車はまだ、買ってもらえないんだ」

 

と感じていました。

 

 

それから1年ぐらい経ったある日、

 

祖母が私の手をつかんで「今から行くよ」と近くの自転車に二人で向かいました。

 

そして、店先の新車の自転車コーナーを越えて、

 

なにやら自転車屋のおじさんと話をしながら、

 

店の奥の倉庫に連れていかれたのです。

 

そこは、中古の自転車や壊れかけた自転車が山のように積まれていました。

 

「この中から好きな自転車を選びなさい」

 

私は、真剣に山積みになった自転車の中から夢中になって、1台の古びた白い自転車を選んだのです。

 

友達の持っているサイクロン号のようなスイッチを押すとライトが光る自転車ではありませんでした。

 

ピカピカの新しい自転車でもありませんでした。

 

でもうれしくてしょうがなかった。

 

だって大好きなおばあちゃんが買ってくれた自転車だから・・・

 

それが、所々錆びた自転車であったとしても。

 

その自転車の錆びを取り、壊れたパーツは新品に取り換え、フレームは全塗装してもう一度、整備し直してくれたものが2日後に我が家に届いた。

 

以来、その自転車は僕の宝物になりました。

 

 

母の言葉、祖母の言葉

 

もし、新品の自転車を自分がほしい時に簡単に与えられたら、自転車は私の宝物になっていただろうか?

 

ふとそう思うんです。

 

今は、豊かな時代になりました。

 

ほしいものは簡単にお金を出せば手に入れることができる。

 

そんな時だからこそ、忘れてはいけないことがあるのでしょう。

 

「幸せ」の物差しをすぐに、人と比べて判断してしまいそうになります。

 

世間的には、お金がある、高級なものを持っているか否かで判断されてしまう面があります。

 

では幸せは、何かを持っていなければ、なれないものでしょうか?

 

人と比べて自分が優れていると感じなければ?

 

幸せを感じることはできないのでしょうか?

 

私は母の「よそは、よそ。うちはうち。」という言葉から

 

「幸せはなるものではなく、感じるものだ」と学んだ気がします。

 

また、祖母は「なんでも、かんでも好きなものを選びなさい」とは言わず、「この中から好きな自転車を選びなさい」と言いました。

 

この言葉には、「目の前にあるもので、満足しなさい。」という強いメッセージがあります。

 

私はこの時「何を貰うかではなく、誰から貰うか」が重要なんだと学びました。

 

 

もう、あの白い自転車はないけれど

 

「おばあちゃん、ありがとね」

 

と47回忌で手を合わせたいと思います。

 

それから、小さい頃からどんなときも、励まし、支えてくれた母の愛情が、心に滲みます。

 

おふくろ産んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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守田 智司

愛知県蒲郡市にあるハイブリット学習塾/未来義塾の塾長。10代で愛知県から大阪、東京まで自転車で走破!大学中は、バックパック1つで、アメリカ1周。卒業後、アメリカ・アトランタにて「大工」を経験。帰国後15年間、大手進学塾の教室長・ブロック長として教壇に立ち、2005年独立。 大型自動二輪、小型船舶2級免許所得。釣り、ウォーキングが好き!作家は、重松清さん、音楽は、さだまさしさんが好き。「質より量より更新頻度」毎日ブログを更新しています。