アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語➂】
前回の続き。
1989年当時は、インターネットが普及していない時代。
海外との連絡方法は、もっぱら普通郵便での手紙のやり取り。
今は、本当に便利。
昨年娘がカナダの高校に1年留学した時、まずバンクーバー空港に到着してすぐに、
LINEで空港からホームステイ先までの移動中の様子を動画で送って来た時は、
その便利さに、松田優作ばりに
「なんじゃ、こりゃ」と思いましたね。((笑))
Σ(゚Д゚)スゲェ!!
LINEを利用し、チャット、音声通話、ビデオ通話が海外にいても毎日できるこの感覚。
距離は遠く離れていても、お互いの様子や伝えてい事は瞬時に分かちあえるわけです。
うちのかみさんは、最初の1か月は毎日LINEで娘と話をしていたので、
日本にいる感覚と全然かわらなかったんじゃないかな。
そして、iPhoneの位置情報サービスを使えば、娘が海外にいても、学校にいるのか?
ホームスティ先にいるのか?
全てわかるわけですから、その安心感は昔とは全然違うと思います。
でも、33年前は、連絡方法は基本「手紙」一択なんです!
当時もKDDIの国際電話なんてありましたが、メチャクチャ高かった。
確かアメリカまで3分間で700円程度かかった気がする。
だから、10分で2,000円以上、30分で7,000円なんて話になる。
もし公衆電話から国際電話なんてかけた日には、100円玉がものすごい勢いで落ちていくことになる。
だから手紙を書いたんだ。
でも、日本の地方都市からアメリカの地方都市までの普通郵便が届く日数は,時差もあるから,約10日間かかる。
こちらから聞きたいことがあって手紙に書いて、相手から返事が返って来るのに最短で20日間。
でも、すぐに返事を書いてくれるとは限らないし、
検討しなくちゃならないことや調べ物があれば、平気で返事が返って来るのに1カ月とか2ケ月過ぎないと返事が返ってこない。
これが、大問題を引き起こすカギとなってしまったのです。
Oh my goodness!
手紙の時差
退職する半年前にアトランタにいる棟梁に手紙を書いて相談していました。
なんて、当時手紙に書いたんですよ。
そうすると、1ヵ月後に棟梁からこんな返事が・・・
この手紙を貰った瞬間、アメリカで働くチャンスを得た気がして、もう既に心ここにあらずという状態でしたね。
グリーンカードとは?
この永住権の証明として与えられるのが「永住者カード」がいわゆる【グリーンカード】と呼ばれるものです。
このグリーンカードを手にすることで、アメリカに制限なく入国・滞在し、制約もほとんどなく自由に働く先を決めることが出来る最強カード。
このカードを手にする方法は基本的には3つあって
- 米国籍者と結婚する。
- 米国企業にスポンサーになってもらう
- グリーンカード抽選プログラム(DVプログラム)に応募、当選する
1つ目は、アメリカ国籍者と結婚しないといけないけど、そんな相手は当然いなかったので無理。
3つ目は、確か1991年から実施されてる制度なので、1989年はまだ実施されていなかったのでこれも無理。
つまり2つ目の棟梁の会社が米国企業として私のスポンサーになってくれればグリーンカードが発行されるということなんです。
大問題発生!
最初の手紙のやり取りで、アメリカで働くことが出来る可能性が出てきた私は、すぐさま次の手紙を書きました。
するとまた、1ヵ月後に嬉しい返事が返ってきました。
もうこの返事を頂いた時は、ガッツポーズですよね。
これでグリーンカードを手にすることが出来る。
私は、会社を退職し、その後も渡米する前まで建築関係のアルバイトをする意志を返事として書きました。
この後、数回手紙のやり取りをした後、冬休みを利用して1週間ほどアトランタに渡米し、
直接棟梁とグリーンカードが発行されることの再確認と渡米後の大工仕事の内容、そして渡米までの残り半年の予定を確認しました。
そして、その年の春に会社を退社した直後に棟梁から一通の手紙が届いたんです。
こんな手紙が、会社を退職した1週間後に我が家に届いたんです。
えー!
まじでぇ!
もう辞めちゃったよ、会社。
つづく・・・・
こんな昔のことを思い出しながら記事を書いていたら、もう我慢できないくなっちゃう。当時大好きだった洋楽。タマランチ会長。もう、塾の先生ということは忘れて、好きな洋楽について書きたい。そんな衝動が抑えきれない。だから書いちゃう。中学生の生徒達にわからなくてもいい。オジサン達に伝われば!((笑))題して「MORITA先生のベストヒットUSA」。そしてご紹介するのは、これ!
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は、ケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルドが共作した楽曲。この曲でビルボードのポップ・シングル・チャートの1位に輝き、第22回グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞を受賞している。ケニーもマイケルともに大好き。この曲を聞くと、1986年初めてサンフランシスコに到着した頃を思い出す。1978年7月に発表されたロギンスのソロ・アルバム『ナイトウォッチ』が初出となり、同年にはマクドナルドが所属していたバンド、ドゥービー・ブラザーズのヴァージョンもアルバム『ミニット・バイ・ミニット』で発表された。ドゥービー・ブラザーズにマイケル・マクドナルドが加入した時の最高傑作と呼ぶのにふさわしい作品。AOR路線に変更した名作。
守田 智司
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