母の人生と92歳の誕生日とケーキ
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昨日は母の誕生日でした。
92歳になった母の喜びを共有したくて、ケーキを持って実家に向かいました。
母は昭和8年4月25日に生まれ、
三人の息子を育て上げ、祖母である父の母親や去年の8月には父を見送りました。
ケーキを届けるついでに、母の人生について振り返りたいと思い、
ゆっくりと彼女と話をしました。
母は新城の田舎で生まれ、戦時中、苦労を経験しました。
彼女の幼少期には、豊川や豊橋だけでなく、故郷の新城にも焼夷弾が落ちたそうです。
そして、1945年の終戦直前には、三河地震が襲いました。
その時、幼い彼女は大地の激しい揺れに怯えたそうです。
若い頃、母は父の元へ嫁ぎました。
その年には伊勢湾台風が襲来し、明治以降で最も多くの犠牲者を出した台風でした。
父と母の新婚夫婦の海辺の家は倒壊し、
壁土と新聞紙で仮の避難所を作った苦労話を語ってくれました。
「何とか生き延びたわ。感謝しかないわ。」
「そして、今、能登半島で被災している人々の苦しみがわかるの。」
「同じような経験をしたからね。」
時折、遠くを見つめながら、母は淡々と彼女の人生を語りました。
母は戦争や災害を経験したことで、
命がいかに脆く、
いつ失われてしまうかを目の当たりにしてきたのでしょう。
戦争や災害の中で、たくさんの人々が命を失い、その大切さを思い知らされたからこそ、
母は命を大切にし、絶えず感謝し、
家族や大切な人々との時間を大切にするのだと思いました。
母の話を聞き終えた時、私はただただ、
「あなたが私を産んでくれたから、今の私がいます。母さん、ありがとう」
と言葉が溢れ出ました。
明後日には、新しい命が母に会いに来ます。
ひ孫です。
その幸せな出来事が、私たちの家族に再び喜びをもたらすでしょう。
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守田 智司
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