13年前の未来義塾の写真を見ていたらあの頃の熱い想いが込み上げてきた!
昨日、写真を整理していたら開校前の写真が出てきました。写真の日付には、2005年3月19日と記してあります。
写真を眺めていると、13年前のあの頃のことが鮮明に思い出されました。40歳で、お世話になった進学塾TEPを退社。私にとって一大決心でした。
早朝、蒲郡の海を見ながら、1人で塾を作り上げることを決めました。その時、言いようもない不安は、今でも鮮明に覚えています。
開塾するために古いマンションの事務所だった場所を借りました。写真の通り天井は穴がいくつも空き、壁紙は、黄色く変色していました。
古い壁紙を3日かけて全て1人で剥がしました。床と壁を仕切る幅木も色あせていたので、水性塗料をホームセンターで買ってきて塗り直しました。
備品は、生徒達が使う椅子や机以外は全てリサイクル品。私が開校当時の机は、錆びだらけの事務机。一生懸命丁寧に錆を落とし、自分でスプレー塗料しました。
下駄箱は、合板を買ってきて作りました。その下駄箱は、今も使っています。できることは何でも自分でやりました。そして、その姿勢は、変わりません。
こういった古い流し台が置き去りになっていたので、軽トラを借りて自分で粗大ゴミ場まで捨てに行きました。
写真1枚1枚をゆっくり見つめていると、あの頃の熱い想いが溢れてきました。
こちらの写真が、開校1ヶ月前の写真です。日付は2005年5月2日です。今と違い、外観の色や花壇もこの時には、まだありません。
一歩間違えれば廃業にもなるかもしれない恐怖感は今だにあります。「独立」という言葉は、”一国一城”といったカッコイイイメージがあるかもしれませんが、この13年間全く、そんなことを思ったことも、またそんな余裕もありませんでした。
ただ、ただ目の前のことに我武者羅に、そして一生懸命に取り組むことしかして来ませんでした。
私にはタイムカードはありません。会社の営業ノルマもありませんが、尻を叩いてくれる上司もいません。支えてくれる部下もいません。
遊んでいる私は、すなわち仕事をしていない私にほかなりません。そのツケは、自分で払うだけの覚悟が必要なのです。全てを投げ出し、新しいことに挑戦することは、そうゆうことだと思います。
でも、人生は有限だから、やりたいことをやったほうが勝ちだと思うんです。退職した時も、塾を立ち上げた時も、自分の人生の責任は自分でしか取ることができませんし、自分でしか切り開けません。
だったらやっぱりやりたいことをやる。人生片道切符!
1枚1枚の写真を見ていると、あの頃の熱い想いが湧き上がってくるのが自分でも解りました。
開校当時のことですが、凄く長くも感じたし、昨日のことのようにも思えました。でも、こうして写真を見つめている自分が、開校当時の気持ちや熱さを持ち続けていることを確認できたようで、そのことが嬉しかったです。
まだまだ足りない部分は、たくさんありますが、これからも全力で走り続けていこうと思いました。
「それでも僕は夢を見る」
これが、13年後。昨日撮影した未来義塾の写真です。
13年間塾を続けてきて、改めて継続の大切さを感じています。しかし、継続とは同じことを繰り返すことではないと思っています。
同じことを繰り返しているだけでは、物事は続きません。未来義塾を10年、20年と続けていくためには、改革し続ける必要があります。
但し、変えてはならないものがあります。それは、塾を立ち上げた時の想いです。言い方を変えれば塾の原点であり、精神です。自分が作ろうとした「理想の塾像」を忘れてはなりません。
今年は、「未来維新」元年と定め、また一からスタートし、蒲郡の小さな学習塾が大きく変わる年となるよう、動いて、動いて、動きまくります!
さて,今日はこの辺で、あの頃の自分に出会えたことを感謝しつつ、失礼致します。
守田 智司
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