アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語:最終回】
最終回です。
ストーンマウンテンパークと森の海!
休みになると、棟梁の自転車を借りて、アトランタの郊外を1人で走っていました。
学生時代に、大阪、東京と単独で自転車走破していたのが、こんなところでも役に立ちましたね。
ある日、アトランタのダウンタウンから16マイル離れた、ストーン・マウンテン・パークに行った時のことでした。
世界最大の花崗岩(251m)でできており、中腹に南北戦争時代に活躍した英雄達が彫られています。
山腹のレリーフは50年以上の歳月をかけて彫られたそうです。
写真では解りにくいのだが、彫られている将軍達の耳の大きさが大人1人分の身長と同じぐらい。
年間400万人が訪れる公園だけあって、敷地内にはテニス場・オートキャンプ場などがあり、列車まで走っている。
ふもとで、自転車を駐輪し、30分程度で山頂まで登り、
すんなり登ることができたので、山頂からの景色にはあまり期待していませんでした。
しかし、山頂に足を一歩踏み入れると・・・
そこは、360°全ての視界に、豊かな緑のジュータンが敷き詰められたような森が続いていました。
まさに森の海。
その時、人生の転機が訪れた!
生まれた初めて見る光景。
そして、その森の中に、かすかに見えるアトランタのダウンタウン。
この圧倒的な自然の中に身を置くと、人間が創造した人工的なものがなんてなんてちっぽけなものだと感じたし、
ましてや、自分の悩みなんて何だったんだと思いました。
まさに、リセットボタンを押したかのように人生が新たな方向に動き出す予感がしたのです。
私は大学まで、本当に目立たないごくごく普通の子供でした。
どちらかと言えば、落ちこぼれと呼ばれていたと思います。
小学2年生の劇「花さかじいさん」では、悪いおじいさん役。
中学生の時は、高度経済成長の中、大量生産、大量消費が叫ばれる中、一学年500人でテスト受ければ、
いつも、学年順位は250位のド真ん中。
1,500m走では、ビリから3分の1ぐらい。
悪くも無ければ、良くもない。
高校は、工業高校で、そこから苦労して大学に進学し、中途半端に会社を退職し・・・
でも、でも、でも・・・
そんな自分だけど、自分の人生に抗い、
人と違う道を歩むことを決断し、
今、アメリカアトランタに辿り着いて
この素晴らしい森の海の景色に出会えた。
と同時に、こうも感じていました・・・
この景色は、ただの景色なんかじゃない。
この景色は、ただの景色なんかじゃない。
実は、アトランタに渡った最初の2週間は、帰りたくて、帰りたくて後悔ばかりしていました。
英語が話せなくて、知り合いが誰一人もいないアトランタで
毎晩寂しくて、辛くて涙でベットを濡らしていました。
それが、棟梁の紹介で参加するようになった
教会で開催されていた、市民が運営するボランティア英会話クラス。
黒板も、テキストも無く。
そして先生は、素人のボランティアの人達だけ。
どんなに日本で英語を学習しても、全く話せなかった英語が、
自分でも不思議なぐらい上達して、
そこから友達ができるようになり、
いっきに仕事にも張りができて楽しく過ごせるようになりました。
仕事場では、文化も、習慣も、宗教も違う人達と汗をかき、食事をし、
1つのものを創り上げる苦労を共にすることができました。
そして、お互いの協力で出来上がった時の達成感は、何ものにも代えがたいものでした。
そういったシーンが、
ストンマウンテンパークのどこまでも拡がる森の海の光景と重なって見えたんです。
日本に帰ろう!先生をやろう!
人生の海は、この森の海と同じように果てしなく拡がるんだ!
本当に目の前の霧が晴れて、視界が一気にクリヤーになった。
その瞬間、自分が本当にやりたいことは何なのか気づいたんです。
それが「教育」でした。
当時、自分自身が何を本当にしたいのか?
分からず、日本を飛び出してしまった私。
でも33年前、多種多様な人々が暮らす環境の中に自ら飛び込み、
大工という仕事を通して多くの出会いを経験しました。
そこで気付いたんです。
人間関係の広がりは、そのまま視野の拡がりに直結すると。
文化や習慣、また言語の違いを乗り越えて共に生きるために必要なスキルこそが、
コミュニケーション能力なんだと。
英語で、”Put your foot in his/her shoes.
(その人の靴に自分の足を入れる)という慣用句があります。
コミュニケーション能力を向上させるためには、
いかに相手の視点と価値観で考えることができるかどうかにかかっていると思う。
そのためには、自分がまず相手の文化、習慣、宗教などを体験し学ぶことが大切となります。
しかし今の日本の子供達はどうでしょう?
日本の英語教育と同じように、何十年と変わらず、それでいて全く会話も十分できない。
彼らが高校までの学校生活でさらされてきた「同調圧力」に原因の一端があるのではないかと思います。
頂上に登るのに、たった一つのルートしか示せれない日本の教育に未来があるのでしょうか?
そもそも頂上なんて人によって違うもの。
私みたいに、人と違うルートで頂上を登ることができることを伝えれたら。
このアトランタの経験を誰かに伝えたい。
できれば、子供達に・・・
そして、この想いを日本で形にするのに一番手っ取り早いのが「先生」になることだと思い帰国を決意しました。
いまから33年前のことです。
守田 智司
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