アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語⑥】
前回の続きです。
ボランティアによって運営される英会話クラスに参加するようになって、教育に対して強く関心を持つようになった私ですが・・・
大工仕事でも刺激的な人達との出会いがありました。
もう、強烈!南部なまりの暖炉おじいちゃん!Southern Accent
大工仕事でいっしょに仕事する人たちというのは、毎回現場で変わってくるんです。
現場の規模や施工する内容によって、棟梁が求人をかけてそこで、仕事内容にあったスキルのある職人さんを雇用する形式。
まさに、今、日本の企業が取り入れ始めているジョブ型雇用形式。
以前紹介した寿司バーのような店舗を作る時は、
内装関係の職人さんが来たり、塗装専門の職人さんだったり、
工場の解体作業の現場なら、肉体派の解体作業の職人さんが来たります。
だから、2~3日だけ一緒に仕事をする職人さんもいれば、
長ければ1ヵ月間ずっと同じ現場で共にする職人さんも・・・
なのでいろんな国籍の、いろんな人種の人達といっしょに仕事をしました。
例えば、湖畔の近くにある別荘の大きな暖炉を作る手伝いをした時のことです。
いっしょにペアを組んで仕事したのが・・・
「俺は、暖炉づくりの名人。この道50年だ!」と言わんばかりの
オーラ―を発するご高齢の黒人のおじいちゃん。
ムムムム・・・嫌な予感!
(;゚∀゚)
何せ、ご高齢で声も小さく、メチャクチャひどい南部なまり。
分かったのは、最初の「Howdy」の一言でだけで、後は何を言っているのか?
※Howdyとは”How do you do”を省略したスラングのことね。
全く分からない。
例えると、青森県の津軽弁を話すおじいちゃんと一緒に暖炉づくりをしたのと同じ。
と聞いて、同じ日本人同士ですが意味わかりますか?
分からないでしょ。
それと同じことが異国の地、アトランタで起きたんです。
ちなみに、「せばだばまいねびょん」は訳:それじゃぁダメだよねという意味。
後で、棟梁に聞いたんですが、南部なまりは、[ai]は[aa]と発音するそうです。
つまり、[アイ]は[アー]なので、「私」の「I] は、[アー]となります。
たとえば、「アー プレイ テニス」と発音されてもわかりませんよね。
ちなみに“Why?”は、[ワー]。
もう、ちんぷんかんぷでしょ。((笑))
大人の授業!は元アウトローバイカー達から学んだ!
しかし、こんなものでは、ありません。
最強キャラクター達が登場します。
あれは、秋の少し肌寒い日のことです。
いつものように、トラックの助手席に座り、その日の現場の作業内容とスケジュールを棟梁から聞きます。
そんなことを思いながら、現場に到着すると上の写真のようなワイルドな方々が待っていました。((笑))
まさに二人を見た瞬間は、ターミネイター2で、T-800がバイクでザ ・コラルを出発するシーンで流れる曲が聞こえてきそうな雰囲気でしたね。
Bob爺さんが連れてきた二人のタフガイは、元アウトローバイカー。
アウトローバイカーとは、バイカーギャングとも呼ばれるアウトロー集団の方々。
コワイヨ(꒪⌑꒪.)!!!
最初は、怖くてさすがに話しかけることができませんでした。
でも、徐々に打ち溶けていくと、一緒に汗をかき、お昼に一緒にお弁当を食べるまでの仲になりました。
私が日本でカワサキのバイクに乗っていることを伝えると、よく冗談で「カワサキチキン」と言われました。((笑))
ハーレーに乗れと。
この時は、もう既にバイカーは引退されていて、優しい大工さんのお仕事をされていたというわけです。
例えば、アウトローバイカーのチーム同士のケンカって聞くと、
今だったら2017年より「週刊少年マガジン」で連載開始した『東京卍リベンジャーズ』なんかを連想するじゃないですか。
「やるっきゃねぇだろ!!!」とか
「花垣武道、タイマンだ」
なんて言ってケンカの後は、男の友情が芽生えるストーリーが定番じゃないですか。
もう次元が違うというか、日本の暴走族が可愛く見えるほどイケないことをされていて・・・
良い子の読むこのブログでは紹介できない程の18禁エピソードトーク満載でした。
もうピィーの連続。((笑))
お昼の休憩時間にお弁当を食べながら、二人の昔の武勇伝を聞くのが凄く楽しみでしたね。
とにかく、頼るものは、自分の身一つ。
この時です。
人種のるつぼと言われ、多種多様な人々が暮らすこの地でコミュニケーション能力が徹底的に鍛えられました。
あと問題は、自分で解決する。
今振り返ると、その術を、頭じゃなくて身体で、学んだ気がします。
まさにこの破天荒な1つ1つの体験(笑)が今の自分の血となり、肉となっています。
そしてこれらの経験がなければ、塾講師にならなかったと思いますし、今の未来義塾は存在しません。
私は、子供達に長い人生の中で、1度は海外に出てそこで生活をするという経験をしてもらいたいと思っています。
その経験は、これからの激動の世界を渡り歩くコンパスとなり、困難を乗り越えるための強固なはしごとなるはずだからです。
人生を豊かに生きていくためには、力強い経験とそれを支える知識が必要です。
そして、この物語は次回、最終回を迎えます。
私が塾の先生になろうとした切っ掛けとアメリカを旅立つその日をお伝えできれば・・・
つづく・・・
守田 智司
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