アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語➃】
前回の続きです。
会社を退職して1週間後にアメリカから、
まさかグリーンカードが発行できない知らせが届くとは!
ゲッ!(꒪ꇴ꒪|||)
まさに青天の霹靂とはこのことで、半年間準備していたことが全て白紙に!
それどころか、会社まで辞めてしまい無職状態に・・・
この当時、無職でプラプラしている人は「プー太郎」と呼ばれていましたが、
まさか自分がプー太郎になるとは((笑))
どうやらグリーンカードの取得条件で、棟梁は私を建築関係の専門職として呼ぼうとしていたのですが、
その専門職の基準が、最初想定していた、半年程度の建築会社でのアルバイト経験では、
全く基準に達していなかったのです。
聞いて ◝(๑⁺д⁺๑)◞՞ ないよ〜
実際に調べてみると、
このビザは、専門家として特殊技能を持ち、該当する専門分野において学士号を持つ人。また、この特殊職業の少なくとも2年以上の訓練あるいは経験を持つ人。
更に、アメリカの雇用者は「上記の能力を持つ米国労働者がいない」ということを証明しなければならない。
今だから、ネットでなんでも気軽に調べることが出来ますが、33年前となると・・・
起訴大国アメリカの弁護士って・・・
半年前に相談した時は、ロイヤー(弁護士)がOKだと言っていたのに・・・
何をいまさら!ムムムム・・・
棟梁のロイヤーというのが移民受け入れに関して疎かったのか?
どうやら私が会社を辞めるまでその辺のことがハッキリしていなかったみたいなんです。
「えー、なんで弁護士なのにわからないの?」って声が聞こえそうですが、
起訴大国アメリカでは弁護士ってたくさんいるんです。
もう、本当にピンキリ。
ダメな弁護士ってとことんダメで、
世界最強の軍隊と呼ばれている米軍兵士数は約143万人といわれているますが、
弁護士の数は、その米軍兵士数の次に多い、約110万人。
ある統計では世界の弁護士数の約3分の2を占めるなんていわれているぐらい、メチャクチャ多いわけ。
そういうことを、私もアメリカに行ってから知ったんですけどね。
もうこうなると、ジタバタしても現状は1ミリも変わらないわけで・・・
そして棟梁から・・・
どうすると言われても、もう今更会社に戻れないし、
アメリカに行ったとしてもグリーンカードが発行されるわけでもない。
けっこう自分の今後の身の振り方に悩みましたが、現状プー太郎として、日本にいても何も変わらない。
だったら、グリーンカードが発行されなくても、アトランタに行こうと決意しました。
その想いを棟梁に手紙で伝えると・・・
そして日本で6カ月近く建築関係のアルバイトを経て、アトランタへ
Georgia on my mind (我が心のジョージア)
アトランタといえば、皆さんどんなイメージを持っておられるだろうか?
私にとっては、レイ・チャールズが歌う、Georgia on my mindであったり、
南北戦争であったり、
1960 年代の公民権運動のアフリカ系アメリカ人のリーダーであるマーチン・ルーサー・キング・ジュニアだったりします。
左上の写真は、美しい人工池の中心の棺に眠るキング牧師のお墓
今から30年前とはいえ、コカ・コーラ カンパニー、デルタ航空、CNNなどの名だたる大企業が本社を置き、
ジョージア州のみならずアメリカ南部の商業・経済の中心地としての役割を担う経済都市アトランタ。
そんなアトランタに到着した、次の日から・・・
ただただ棟梁のトラックの助手席に毎朝乗り込み、
言われることを忠実に、そして一生懸命働く毎日でした。
棟梁の家に居候という形で、1日3食の食事を無償で頂き、私が棟梁の仕事をお手伝いする。
あくまでも、お手伝いという形。
ですから、給料は頂きませんでした。
給料を頂くと仕事になってしまうので、就労ビザを持っていない私は労働はできないのです。
なので家賃と食費はかからず、残りの毎日の生活費は、
日本で半年アルバイトして貯めたお金を当てていました。
当時でも、けっこう移民局のガサ入れがアッチコッチであって、ヒスパニック系やアジア系の人達が摘発されていた話はよく耳にしていました。
特に飲食系や清掃系の仕事は摘発が多かったようですね。
ちょうど1980年にアメリカでテレビドラマシリーズ「Shogun」がスタートすると、全米で「日本ブーム」が沸き起こります。
また、この頃から「寿司はヘルシー」とか「身体にいい」というイメージが定着し始めました。
当時、初めてアメリカでカリフォルニアロールを食べて驚きました。
海苔が内側で、ご飯が外側だったからです。
確か、具材は、かにかま、アボカドなどを海苔とご飯で巻き、白ゴマを外側にまぶしたものでした。
これは外側に黒いものがあるとおいしく見えないからと棟梁から聞きました。
まさに、寿司からSUSHIへ変わり、次から次へと寿司バーが作られていました。
上の写真は棟梁が作ったカウンター。
店内は障子や格子などが有るのですが、これはアメリカ人では作ることができない。
だから、障子や格子まで作ることが出来る棟梁は、日本人のオーナー達から引っ張りだこでした。
当時の仕事の様子は、こちらのブログ記事に書いています。
人種のるつぼと教会の無料英会話クラス
朝から晩まで、そして月曜日から土曜日まで、
毎日がクタクタになるまで働いていて、
でも水曜日だけ、英語が全く話せない、そしてお金がない私に、
棟梁がダウタウンにあるNorth Avenue Presbyterian Churchの無料英会話クラスを紹介してくれました。
アメリカ人には、ボランティア活動を通じて自分の時間と能力を
地域社会の利益のために惜しみなく提供する精神が備わっていることをこの時、経験します。
私のクラスの先生は、全てボランティア。
医者であったり、弁護士であったり、小学校の先生だったり、
そいった方々が、私のようなアメリカに来て間もない外国人に英語を無償で教えてくれていたんです。
このクラスは、本当に楽しかった。
生徒は、中国人や韓国人、フィリッピン人などなど・・・
先生は、白人に、黒人。
まさに人種のるつぼ。
そして、この時に知り合った医者や弁護士、そして教師たちとその後アメリカにいる間、友達として交流が持てたのは本当に貴重な経験でした。
つづく・・・
前回の「MORITA先生のベストヒットUSA」に引き続いて、今日はご紹介するのは、ロマンティック・コメディ映画である『マネキン』のテーマ曲になった、スターシップの「Nothing’s Gonna Stop Us Now」。二人のヴォーカリスト、ミッキー・トーマスとグレイス・スリックのデュエットを前面に出したパワー・バラード。親しみやすいメロディと80年代らしいキラキラしたサウンドで、今、聴いても色褪せない名曲。
個人的には、歌詞も胸キュン。「君と一緒ならいい時も辛いときも乗り越えていける」「Baby we can make it if we’re heart to heart.」もう、35年前ですが、この曲を聞くと、初めてデートした時のことを思い出します。♡(´,,•ω•,,`)キュン
守田 智司
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